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2018年04月10日

久美子の家(40)@インド旅日記

(32)久美子の家

ガンジス川の岸辺に久美子の家と日本語で書かれた建物があった。

あとで知ったことだが、インド人と結婚した久美子さんが 営む格安の宿だそうだ。

そのため、日本人のバックパッカーの旅行者がよく利用するらしい。

現在はどうなっているんだろう。

ベランダがありようで、1日中ガンジスを眺めることができそうな宿だ。

ここへ移ろうかと思ったが、めんどーなので辞めた。



  


Posted by おきなべ at 08:27Comments(0)インドの旅

2018年04月05日

再びボート(39)@インド旅日記

翌日もガンジス川でボートに乗った。
若い筋骨隆々のお兄さんだ。

当時の僕と同じくらいの年代だと思うが、インド人の年齢は全くわからない。
岸から遠くまで漕いでもらって、ベナレス遠景をみた。



  


Posted by おきなべ at 17:21Comments(0)インドの旅

2018年04月03日

ガンジスで遊覧船(38)@インド旅日記




1日中、ガンジス川のそばにいた。

あれだけ多くの人の死を見て、焼かれてガンジスに戻される風景を見てると、死って何だろうと考えてしまう。

無い頭で死ぬことの意味を、いっぱい考えた。

無い頭なので、何もわからなかった。


夕方、宿へ帰って、そこら辺で食事する。

あまり食欲ない。


夜、暑くて宿の前で夕涼み。

椅子が置いてあり、座って街行く人をぼーっと眺めていた。


ガンジス川で遊覧船に乗ることができた。
長さ5mほどの木の船だ。
こちらをじっと見ながらオールを漕ぐ。
迫力にタジタジだ。

生まれた時からボートを漕いでると言ってにっと笑った。
10ルピー(300円)払った。  


Posted by おきなべ at 08:19Comments(0)インドの旅

2018年03月28日

ガンジス川で呆然としたこと(37)@インド旅日記




マニカルニカーガートへ行ってみた。

火葬場があった。

10体ほどの死体がサリーに包んである。


赤いサリーに包まれた死体は女性の、白いサリーに包まれた死体は男性だそうだ。


火葬場のある広場には、焚き木が組み合わされ、その二つが灰色の煙をあげていた。

人の焼ける匂い、その側で犬が何かをガツガツと食べている。

犬の目つきは鋭い。


サリーにまとわれた死体が、ガンガの水に浸って放っておかれていた。

火葬場の順番を待っている。


骨と皮だけになったような老人が、座ったまま眠っている。

彼はいつから死を待っているのだろう。


灰になった死体は、ガンガの中に投げ入れられる。

残りの灰は、乱暴にほうきで、河の中に投げこまれた。


骨と皮だけになった老人のそばで、子供達が何かをガツガツ食べている。


そのそばで小便をしている。


そして灰になった死体が投げ込まれた河のすぐそばで、人々は洗濯をし、体を清め歯を磨く。


ガンガの水は泥水のように茶色い。

この中にいると呆然とするしかない。

死がとても怖いと思った。


ガンガの大古からの遥かな流れに比べたら、その儀式は時の流れの小さな部分にしか過ぎない。


何かわけのわからないものが猛烈に迫ってくる。

ベナレスの街は、時の大きさを教えてくれた。

僕はこの街に少し長く居ようと思った。


長渕剛さんのガンジスという唄
ベナレスのガンガのことを歌った唄

  


Posted by おきなべ at 12:56Comments(2)インドの旅

2018年03月26日

ベナレスのガート(36)@インド旅日記



ベナレスの街から南へ行くと、ガンジス河へ突き当たる。
そのガンガーへ降りることができる階段がガートと云われ、いたるところにあるようだった。

リキシャでツーリストオッフィスへ行き、ベナレス市内の地図をもらった。
ベナレスはカルカッタと違い、リキシャも値段をふっかけてこない。
1ルピー(30円)だった。

ガートへ歩いて行ってみた。
ヒンズー教徒の多くは、1日の始まりや仕事の終わりなどの時間に沐浴を行う。
全身を洗って清め、罪を流す。
じっと座ってる人、半身ガンガの水に浸かり顔や体を洗う人、傘の下で休んでる人、祈る人。
3000年変わらない風景なんだろう。

ベナレスは多くの寺院もあり、聖地なので、遠いところから汽車に乗り、あるいは何ヶ月もかけて歩いてやって来る巡礼者もいる。

ガンジスの水に全身をひたせるごとに、この水が人の罪悪いっさいを洗い流してくれるという。
そのため、老人、病人、信者、あらゆる人がベナレスへやって来る。

この地で死を待つ人々もいて、その方々のための建物もあった。
ガートの周りには、沐浴されてる人の他に、巡礼者やじっと河を見つめ死を待ってるような老人も居た。



  


Posted by おきなべ at 05:38Comments(0)インドの旅

2018年03月24日

早朝のベナレス(35)@インド旅日記




早朝、宿の周囲では、すでにたくさんの人が歩いていた。
南へ向かって歩くガンジス川ガートへの道。

人、自転車、リキシャなどで、ごった返している。

この町に暮らす人々にとって、ガートへ行くのは日課のようだ。
歯を磨き、体を清め、祈る。

朝食の準備か簡易コンロで煮炊きをしてる家族もいた。
路上の隅では、まだ横になって寝てる人もいた。
  


Posted by おきなべ at 08:03Comments(0)インドの旅

2018年03月21日

ガンジス川へ(34)@インド旅日記





宿から歩いてガンジス河の方へ行ってみた。
この街から南に歩いていけば、ガンジス河へ突き当たり、ガートでは沐浴する人々が大勢いた。
ここで体を洗い清め、生命の祝福を祈るそうだ。

昨日まで滞在した仏教の聖地ブッダガヤとは、雰囲気が全く違っていた。

ベナレスはヒンズー教最大の聖地で、多くの年老いた巡礼者が集まり、死んでいくのを待つ河でもある。
ある者は河岸で灰になり、ある者は、焼かれることもなくガンジス河に流される。

ガンガの水は、泥水のように濁っていた。

ヒンズー教では、生きている者は、いつか聖なる河、ガンガに流されることを希望し、肉体から解放され、次の生命へと新しい旅に出る。

ガートまでの道にはこじきのような人々がずらっと並び、ガンジス河の水が入った瓶を売っている。
ヒンズーでもない、日本という衛生観念が異様に発達している国で生まれ、耐性のない僕が、この水飲んだら、下痢どころの騒ぎではなさそうだ。

声をかけられ、腕を取られ、どうしていいのかわからなかった。

巡礼者、物乞いをしながら死を待つ人々。

体を洗い清め、生命の祝福を祈る河であり、同時に死んで輪廻への旅たちの川。

呆然としてしまう。  


Posted by おきなべ at 07:26Comments(2)インドの旅

2018年03月19日

ベナレス到着 宿探し(33)@インド旅日記

汽車がベナレスの駅に着いた。

ガヤから運賃が45ルピー(1300円)だった。


ホームに降りると、リキシャのおじさんが多数ついてくる。

とりあえず無視して外へ出る。


とりあえず今夜の宿を決めておかないと落ち着かない。

田舎のようなブッダガヤと違って、ベナレスは大きな街だった。

カルカッタほど雑踏にまみれてないが、土の匂いもして、混沌とした雰囲気は共通のものがあった。

駅前にはリキシャが多い。

さあ、どうしようと考えてると、押しの強いおじさんが声をかけてきた。

宿引きだ。

安くする、綺麗だ、近い、などカタコト英語でしつこい位に言い寄ってきた。


これから宿を探すのもめんどうだし、あてもないので、とりあえず部屋を見てから決めることにした。

一緒にリキシャに乗り込んだ。


今まで泊まった宿よりはるかに綺麗だ。
部屋にシャワーがついている。

インドへ来て10日目。
個室でシャワー付きの部屋は初めての経験だった。

Tourist villa 1泊20ルピー(600円)

10ルピー位の宿探そうと決めてたけど、シャワー付きに心動かされ、長列車で疲れていた事もあって、ここに決めた。

部屋でゆっくり伸びてると、おじさんが部屋に入ってきて、色々質問する。

どこから来た?何しに来た?結婚してるか?ベナレスへいつまでいる?

自分は土産物屋をやってるので、見に来いと。

まただ。

あとで行くと、適当にあしらって、街の散歩をすることにした。







  


Posted by おきなべ at 08:15Comments(0)インドの旅

2018年03月17日

ベナレスへ向かう(32)インド旅日記




いつまでもブッダガヤへ滞在したかったが、1ヶ月しかない旅なので、次の街を目指すことにした。
ベナレス。バーナラーシー。バナラシ。
呼び方は色々だけど、当時ベナレスと言ってたので、ベナレスで。
ヒンズー教の最大の聖地だ。

ブッダガヤから早朝5時のバス(運賃 1ルピー30円)に乗ってガヤへ着き、6時半の汽車に乗るつもりが寝過ごしてしまった。

仕方なくオート三輪でガヤへ出る。
来る時は、ガヤからブッダガヤまで、リキシャで 1ルピー(30円)で来れたのに、帰りはオート三輪で20ルピー(600円)。
ぼられ過ぎだが時間もない。
値引交渉もままならず、急いで一人で乗ったので、仕方ない。

7:20にガヤからベナレスへ行く汽車が来るはずだ。

ホームが変更されていて、どの列車がベナレス行きなのかわからなかった。

うろうろしていると、昨日まで泊まっていたチベット寺のお坊さんと出会ったので、聞いてみると彼もベナレスへ行くと言う。

助かった。
教えてもらって、一緒に乗る。

汽車に乗るやいなや、すぐにsleeperの一番上にザックを放り投げて確保した。

少しづつだが生存競争に参加できてきている。

寝台料として、2ルピー(60円)車内で払った。

荷物棚の上に寝るって、インドの汽車はすごい世界だ。  


Posted by おきなべ at 08:25Comments(0)インドの旅

2018年03月15日

ブッダガヤ最終日(31)@インド旅日記




ブッダガヤは後で感じた事なのだが、日本の農村風景や人を感じる街だった。
これから行くベナレスに比べ、心が休まった。

ヒンズー教のギラギラした雰囲気よりも、仏教の聖地ブッダガヤでは、同じインドでも、こうも違うのかと感じた次第。

現在のブッダガヤは世界遺産にもなった寺もあって、当時と同じ雰囲気を味わえるのかどうかわからないが、インド再訪の際には、もう一度訪れてみたいと思う。

宿泊したチベット寺の住居。
宿坊が別にあったにかもしれないが、1週間ほとんどタダ同然で居候させてもらった。
この建物も、もうないかもしれない。

隣の大家族の子供達、元気に大人になっているだろうか。

下痢でのたうち回っていた時に薬をくれたお母さん、その後元気に暮らしているだろうか。

明日はいよいよベナレスへ行く。


  


Posted by おきなべ at 08:47Comments(0)インドの旅

2018年03月13日

ブッダガヤのお土産屋さん(30)@インド旅日記




ブッダガヤの中央広場には、バラック小屋でできたこんなお土産屋さんが並んでいた。
腕輪や首飾りなどの装飾品、石の仏像、写真や絵など。
雑多な商品並んでいた。
ビディーという、タバコの葉っぱを巻いただけの煙草を20本入り 1ルピー(30円)で買ったくらい。

威厳のあるインド人の顔は、哲学的で近寄り難く、いつまでもじっと座っていた。

仏教徒の聖地なので、各地から人が集まり、何かしらを記念として買っていくようだ。

僕のような日本人は、カモなので、10倍くらいの値段を吹っかける。
装飾品や仏像には興味ないし、駆け引きなど、そういう事に疲れたので、値段交渉してまで買う気にはならなかった。

それでも、お土産屋さんを見ているのは楽しかった。


  


Posted by おきなべ at 08:07Comments(0)インドの旅

2018年03月10日

露店(29)@インド旅日記




ブッダガヤの中央広場には露店が多かった。

トウモロコシなど、お馴染みの物も売っていて、その場でフライパンで焼いてくれる。
バナナも買った。

下痢後の体調がまだ戻らない。

食欲もないのでバナナ1本だけ食べて、チベット寺の門にいる巡礼者にあげた。

ジュースばかり飲んでいる。
ジュースも缶ジュースではなく、露店で作ってるジュースでパインなどを絞って、氷付きで売っていた。
氷が下痢の一因なのかもしれないが、冷たくて美味しいのだ。

体がダルいので念のためlive21という肝炎の薬を買った。

夜、涼しくなって、この辺りを歩くのは気持ちいい。

ベッドと小さな窓しかない石の部屋での夜の時間は長い。

夜は、巡礼者がいたるところで横になっていた。
  


Posted by おきなべ at 20:44Comments(0)インドの旅

2018年03月09日

ブッダガヤの中心広場(28)@インド旅日記

ここはブッダガヤの中心広場

大道芸人の周りに、たくさんの人々が集まり、楽しい時を過ごしていた。

昼間もそうだが、夜になると、茶屋がとても賑わう。
夜はすることもないので、茶屋で食事をしたりお茶を飲んだりして過ごした。

1人でいても、この国では外国人なので、興味の対象とされ、質問責めになる。
ブッダガヤの言葉はわからないし、英語でわずかの会話だけをした。

どこから何しに来たのかというのをよく聞かれた。
うまく答えられない。
現地の人以外は、仏教の聖地なので巡礼のインド人が多い。
軒下に眠ったり、ビルマ寺や僕と同じチベット寺に滞在してる人もいる。

仏教のことなんて、その昔お釈迦様が開いたこと位しか知識がなかった。

インドへ来て1週間。
カルカッタでショックを覚え、ブッダガヤで癒され、やっと平穏な気持ちで過ごすことができた。



  


Posted by おきなべ at 20:31Comments(0)インドの旅

2018年03月08日

ブッダガヤのレストラン(27)@インド旅日記



とてもお世話になったBODHI RESTAURANTの人達。
ブッダガヤに滞在した1週間は、ほぼ毎日一度はここで食事をしてた。

午前7時に起床。
庭の井戸で水を浴びる。久しぶりに体を洗った。
クルタに石鹸をつけて体をゴシゴシ洗う。
体とクルタの洗濯、一石二鳥だ。

インドはこの時は雨季なのだが、日本と違って1日に数度、夕立のようにまとめてザーッと降る。
雨がふると、涼しくなって気持ちがいい。

いつものレストランへ行く。
ここは中国とチベットの料理を出してる食堂だ。
このレストランの主人は、インド人のように、じっと睨めつけることがなく、表情にも笑みをたやさない。

とてもリラックスできるレストランだった。
ギラギラしたカルカッタと違い、ブッダガヤは田舎の農村のようだ。

この食堂で出してるチベット茶が美味しい。
インドに来て、甘いミルクティーばかり飲んでいたので、ここのお茶の美味しさに感激した。

  


Posted by おきなべ at 08:19Comments(0)インドの旅

2018年03月06日

クルタ(26)@インド旅日記

インドの民族衣裳のクルタを、白と青の2種類をブッダガヤの店で買った。
サイズを計って、仕立ててもらえたので、ポケットもつけてもらった。
二つで20ルピー(600円)

見ていると、あっと言う間に出来上がった。

暑いインドはこの格好はとても楽だった。
頭から被り、風も通る。
外出着兼寝巻き。

これで、日本から持ってきたシャツとクルタ2枚だ。
洗濯しながら、旅を続けることにした。



  


Posted by おきなべ at 08:25Comments(2)インドの旅

2018年03月05日

金剛座(25)@インド旅日記



ブッダガヤのマハーボーディー寺院で

釈迦が菩提樹の下で悟りを開いた場所を金剛座という。

この時は、まだブッダガヤの聖地が世界遺産に登録する前だったので、飾り物もなく囲いもなかった。

石台の横に、長さ30センチもありそうなブッダの大きな足跡が置かれていた。
この時は。お釈迦様って、足がでかいんだなあーと素直に思ってた。  


Posted by おきなべ at 08:20Comments(0)インドの旅

2018年03月03日

大精舎 @インド旅日記(24)




仏教聖地、ブッダガヤのマハーボーディー寺院へ行った。
紀元前5世紀に釈迦が菩提樹の下で悟りを開いた場所で諸説もあるが、3世紀にアショカ王が小さな舎を建てたことが始まりで、現在のものは19世紀に建設されたものだそうだ。

現在でも、たくさんの僧が瞑想や座禅を組んでいて、厳かな雰囲気だった。
主塔は53mあり、彫刻が見事だった。


  


Posted by おきなべ at 17:37Comments(0)インドの旅

2018年03月01日

水牛 @インド旅日記(23)

尼連禅河で水牛見た。
ヒンズー教では牛は神聖な動物なので、ヒンズー教徒は食用にしない。

それでも水牛は牛とは違うので食用にするようだ。
豚肉を食べないイスラム教徒やキリスト教徒もインドには多くいて、役に立たなくなった水牛を屠殺して食べると聞いた。

まだ平和な水牛達。
子供が水牛の背に乗っていた。



  


Posted by おきなべ at 07:28Comments(0)インドの旅

2018年02月27日

尼連禅河(にれんぜんが) 象に乗る @インド旅日記(22)



ネパールの釈迦族の王子としてうまれた釈尊は、29歳の時にカピラ城を出て出家した。

苦行で悟りを得ようとする。
断食、絶食、座禅、1日中片足で立つ鶴の行、うずくまったままの亀の行、呼吸を止める行。
あらゆる苦行を試みたが、悟りを得られなかった。

ある日、民謡を歌いつつ尼連禅川の岸辺を行く農夫に会う。

琵琶の絃 きつく締めれば ぷつり切れ
さりとて 弛めりゃ 音がせぬ

釈尊は決心した。
苦行6年したが満たされなかった。

我は中道を行くと、釈尊は方向転換する。
従っていた者は、釈尊さん、堕落したのかと去っていった。

釈尊は瘦せおとろえ、衰弱していた。
尼禅連河で、沐浴し体を洗い清めた。

村娘のスジャータが乳粥を献上し、体力を回復し、尼禅連河を渡り、ブッダガヤの菩提樹の下で瞑想し、悟りを得る。
仏教の始まりだ。

その尼連禅河が目の前にあった。

像に乗った。
像使いの男に像さんは、命令されると跪いた。
乗ると立ち上がる。

像に乗れるなんて、なんていい日なんだろう。




  


Posted by おきなべ at 07:07Comments(0)インドの旅

2018年02月24日

撮られ好きなインド人(21)

尼連禅河で、漁をしている家族がいた。
座って見学してると、寄って来て写真を撮ってくれと頼まれた。

もちろん、インドの言葉もわからないし、英語も話そうとしないので、身振り手振りで頼まれたのであるが。
自分を指差して、カメラ撮る仕草する。

OKしたら、すぐ川に家族が並んだ。
変な顔したら、笑ってくれた。

なんでだろうなあ。

インドでは、よく写真を撮るのを頼まれた。
かといって、自分の家に写真を送って欲しいとは言わない。




  


Posted by おきなべ at 08:28Comments(0)インドの旅

2018年02月23日

尼連禅河(20)

ブッダガヤの中央広場から尼連禅河(にれんぜんが)へリキシャで行ってみた。

立派なリキシャだった。
裸足で痛くないんだろうかと心配になった。

ここは、釈迦が、2500年前にブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開く前に、立ち寄って沐浴した場所だと伝えられている。

6年もの苦行の後、苦行では悟れないと気がついた釈迦は沐浴し、村娘のスジャータに乳粥の施しを受ける。
仏教では、とても有名な河だ。

歩いていると、バクシーシと子供がついて来た。
50パイサ(15円)を自然に渡すことができた。
理解不可能な言葉で、一生懸命に河の案内してくれた。

インドへ着いたばかりの時は、バクシーシに対して逃げてばかりだった。
僕が施しても、貧しいことは変わらないし、お金を恵むことで貧困の解決にならないと思い上がっていた。
インドの貧困、解決どころか、僕には何一つできないのに。

2500年
悠久な時の流れ。

ここに、悟りを開く前のお釈迦さんが、滞在してた。
そこに僕が立ってるなんて、スゲースゲーと心の中でつぶやいた。









  


Posted by おきなべ at 07:48Comments(0)インドの旅

2018年02月21日

下痢改善と下痢復活の方法(19)

まだ下痢が少し続く。
日本から持ってきたトイレットペーパーはなくなり、あとはインド風に手で拭くだけだ。

便器のそばに空き缶が置いてあり、その中に入ってる水を左手ですくい、お尻をピチャピチャ洗う。
あんがい気持ちがいいものだ。
トイレットペーパーで拭くよりも清潔な気がした。

絶食したら、下痢が治った。

お腹が空っぽになったので、食堂へ行った。
ナンダ君おススメの海の家を小さくしたような、藁葺きの食堂だ。

カレー食べたくて、普段はカレーのメニューはないレストランだけど、特別に主人が食べてるご飯をご馳走になった。

辛いという段階を超えてる辛さだ。
米はインドの米で、パサパサしてるが、カレーにつけて食べるとちょうど良い。
スプーンはないので、右手で、米をすくって食べるのだが難しい。

左手はお尻など拭く不浄の手なので使ってはいけないそうだ。

慣れてないので、右手はカレーが手についてグチャグチャだ。
水の入った空きカンを食堂の主人が出してくれて、それで手を拭いた。

さっき、トイレで左手でお尻を洗い、空きカンの水で手を洗ったこと思い出した。
お尻から出し左手で拭き取り、口から入れ右手を拭き取る。

人生この繰り返し。
なんて哲学的なんだろうと神妙な顔してたら、食堂の親父が、ゲラゲラ笑ってた。

ダルーという豆のスープも出してくれた。

匂いがきつい。酸っぱい。
水を飲みたい。
生水飲んだら、下痢復活だ。
えーいままよーって飲んだ。

下痢は、その夜復活した。
インドはなんてハードなんだろう。


ナンダ君が教えてくれたチベットとチャイナ料理のレストラン。
ブタガヤでは、ここで毎日のように食事してた。
チベット料理は自信持って五つ星だ。













  


Posted by おきなべ at 20:08Comments(0)インドの旅

2018年02月20日

下痢地獄(18)

翌日、下痢と高熱でダウンした。
朝2時頃から、急激にお腹が痛くなりトイレへ4回行く。

もう水しか出ない。
肛門からおしっこを勢いよく飛ばしてる感じだ。
七転八倒。

チベット寺の僕の部屋の隣の住んでる奥さんが、薬をくれた。
何の薬かわからぬが飲む。

抗生物質、鎮痛剤、正露丸すべて飲んだ。

絶食すれば治るはず。
それにしても、こんなに下痢が続くことが苦しいとは想像もしてなかった。

日本とは清潔の観念が全く違う。
食べ物屋には、ハエが群がり、ハエで食物が見えない。

毎日のように行っていたブッディーレストランの調理場を見て慄いた。
見るんじゃなかった。

あの美味しいと、何度か食べたチベット風焼きそば。
泥がいっぱいついてた。

コンロは登山で使うようなホエーブスだった。

下痢で食えないので、居候だけしてると、チベット茶を出してくれた。
お礼に、インスタント味噌汁をあげた。

薬を頂いた隣の奥さん



  


Posted by おきなべ at 20:09Comments(0)インドの旅

2018年02月16日

ブッダガヤで代筆 (17)

僕も宿にしてるチベット寺に住むナンダ君のところへ、遊びに行った。
日本人旅行者の手紙をたくさん持っていた。

彼は家を建てたいらしく、金がなくて、なかなかはかどらないと言う。
日本人の友達に手紙を書きたいので、代筆を頼まれた。
彼が片言英語でしゃべり、僕が日本語に直して書く。
えらいテキトーに書いてしまった。

「家を建てるのに、カネに困ってる。送って欲しい」

そんな無茶な話。

彼の夢は将来、日本へ行くことだと言っていた。

確かここがチベット寺の住居だと思う。
それともその前に泊まっていたビルマ寺だったか。
石の長屋のような家の端から2番目に宿泊させてもらってた。

下痢で、毎夜この庭を通ってトイレへ直行したので、この風景は焼き付いてる。
孔雀が住んでた。





  


Posted by おきなべ at 08:53Comments(0)インドの旅

2018年02月14日

ブッダガヤのナンダ君(16)

暑くて冷たい水を飲みたい。
氷も食べたい。
でも、ここブッダガヤでは、まだ耐性のない僕はお腹を壊してしまう。

冷たい水をくれるという情報に飛びついた。
日本寺へ行けば、冷たい水がある。

日本寺への道を歩く歩く。
とてものどかだ。

誰もいなかった。
冷たい水 冷たい水と唱えながら歩いたのに。
諦めた。

歩いてチベット寺へ帰ろうとすると、リキシャが来て乗れという。
How muchと聞くと、首を横に振る。
ひょっとして、無料で乗せてもらえるのかと期待して、乗ってしまった。

ブッダガヤの中央広場まで乗せてもらい、サンキューと言って降りると、手を出すではないか。
ご飯を食べたいという仕草もする。
10ルピー(300円)渡した。

夕方、広場でぼーっとしてると、愛嬌のあるインド人が話しかけてきた。
ナンダ君。
チベット寺に住んでいると言う。







  


Posted by おきなべ at 20:13Comments(0)インドの旅

2018年02月13日

チベット寺へ(15)

ブタガヤは、静かな農村だ。
遺跡も多く、大きな塔がそびえ立つ。
こののどかな村に、長く深い歴史があるとは、とても思えなかった。

宿泊しているビルマ寺は無料でいいのだが、電気が通ってないので、夜に本も読めない。
部屋に電球のあるチベット寺に引っ越しすることにした。

1日3ルピー(90円)で貸してくれると言う。
8畳くらいの石の部屋にベッドが一つある。
裸電球一つ、天井に大きな扇風機がついていて、静かな風で過ごしやすい。

隣の部屋には大家族が住んでいた。
そこの主人が、寝袋と、仏像を交換しようと言う。
日本にこの仏像を持って帰れば、寝袋が10個買えると言う。

またまたすぐにそんな事を言う。
骨董品に興味なし。

子供達が可愛くて騙されてもいいかもしれないと思ったが、寝袋がないとインドの旅ができないので、丁重にお断りした。

でも、パンツくれと言う。
使い古しならと、1枚あげた。









  


Posted by おきなべ at 13:14Comments(0)インドの旅

2018年02月12日

(14)ビルマ寺へ泊まる

汽車の中は暑くて生き苦しい。
ほとんど眠れないまま、早朝にガヤへ着いた。

ブタガヤ行きのバス乗り場まで、リキシャと交渉した。
1ルピー(30円)で連れていってもらった。

ガヤからブタガヤまで、バス代は1ルピー(30円)だった。

バスの屋根にも人が乗っている。
ガヤの街は、カルカッタの空港から街の中心部へ行くまでの光景と同じようだった。
裸足で歩いている人が多い。

ブタガヤへ着き、チベット寺へ行き、泊まりたいと言うも、この日は巡礼者でいっぱいで無理そうだったので、ビルマ寺へ行ってみた。

この寺はインドの大財閥が修行僧の巡礼者のために無料宿として建てたそうだ。

8畳くらいの部屋に窓が一つ。
牢屋みたいだ。
電気もない。
窓からトカゲが入ってくる。

巡礼者ではないけれど、ここなら無料で泊まってもいいと言うんで、ビルマ寺に決めた。







  


Posted by おきなべ at 06:59Comments(0)インドの旅

2018年02月11日

(13)ハウラー駅で

5日間ほど過ごしたカルカッタもひとまず今夜が最後だ。
宿で仲良くしてた医学生は、デリーへ直行し、英語教師はダージリンへ行くそうだ。

夜行列車へ乗るために、タクシーでハウラー駅に到着した。
20ルピー(600円)交渉の仕方が素人だし、一般的な相場がわからない。
宿が1泊朝食付きで12ルピーくらいだったので、ちょっと高かったのか。

とりあえずハウラー駅へ着いた。

駅の構内には人がわんさかといる。
切符売り場の横で一家族が生活しているように見える。
たった数日間しかインドに滞在していないのに、自分の中で路上生活者が風景になってしまっていることがこわい。
風景じゃない。
懸命に生きてる人達なのに、自分の気持ちのありように宿題を残してしまった感じだ。

ホームでは男達が大きな荷物を何個も持って立っている。
僕は自分の乗る汽車を確認する。
予約リストを見ると確かに自分の名前が書かれていたので、初めてインドの汽車に乗った。

日本の汽車よりも大づくりで、座るところは木になっていた。
これを折りたたむことでベッドになるのだ。
寝台は一番上段なので、すぐにザックを放り投げた。

しばらく座っていると、窓からバクシーシと手を出してきた。
一人のインド人が向こうへ行けと合図すると、すぐに向こうへ行った。

それでも、バクシーシと手を出せば、50パイサ位のお金を渡してる風景もよく見た。
それはとても自然な感じだった。

ガヤへ向けて汽車は動いていった。  


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2018年02月10日

(12)肝炎さん

カルカッタのサルベーションアーミーへ宿泊する日本人の若者は多い。
部屋がドミトリーなので、自然と集会できるスペースへと集まる。

一人の青年(のっぽ君)が、1ヶ月ほど前から、インド各地を旅したらしく、最新の情報を教えてくれる。

同室の療養中の肝炎さんは、そんな談話室へは顔を出さない。
どうもそういう輪が嫌いなようだったが、僕とは仲良くしてくれた。

朝起きると、いつも肝炎さんはベッドの上でヨガのポーズをとっている。
変な人だなあと思いながら、終わって朝食に誘う。
名前は聞かないことにしてるので、肝炎さんメシ行きましょうと言うと、そうだねって言って付き合ってくれる。

サルベーションアーミーの朝食は、いつも同じメニューだ。
チャイ(甘いミルクティー)と、目玉焼きとパン。

朝の通りの風景見ながら、会話する。

聞けば、自分の生き方や拠り所求めて、インドへ放浪の旅に出たという。
ふーん。
僕はただインドへ来たかっただけなので、よくわからんが、何か得るものあったんかどうかは不明。


インドで1年の放浪。
気がついたら、肝炎でこのザマだって静かに笑った。

ガンジャは体力も精神も壊すので、やめといたほうがいいよって忠告された。

通りに出れば、ガンジャガンジャ安いよって、寄ってくる。

この国は合法なのか不法なのか、よくわからない。









  


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2018年02月09日

インド旅日記 (11)カルカッタ

11カルカッタ

カルカッタの街は人が多くて車も多かった。
それにしても、信号が見あたらない。
ハウラー駅へ行く途中に一つあったぐらいだ。

路上で何か売ってる人、屋台、チャイ屋、通りを歩いているだけで楽しい。
車はアンバサダーというインド国産車ばかりだ。

車もカメラも時計も輸入制限して、自国の産業を守って発展させようとしている。
そのせいか日本の製品に対して、大きな興味を持ってるようで、そのカメラはニコンかミノルタか?
その時計はセイコーかシチズンか?とよく聞かれる。
売ってくれというのだ。

日本で買って持ってきていた100円ライターが10ルピー(300円)で売れてしまう。
僕のカルカッタでの宿(サルベーションアーミー)が1泊朝食付きで12ルピー50パイサ。
物の値段がわからなくなってくる。
ただ100円ライターも使い捨てでなく、ガスが無くなれば補填して使っていくようだ。

リキシャによく声をかけられる。
まだ乗っていないのだが、一般的な値段と交渉の仕方がまだわからない。

宿へ帰って長旅してる人に聞いてみようと思う。





  


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