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Posted by TI-DA at

2018年09月30日

インドの話しを聞く会



北大探検部時代の同期の友人、S君のインドの話しを聞く会に参加した。
学生時代6度の訪問のうち4回をスライドを使ってSの楽しい会話で。
そんなわけで、彼は留年休学を合わせ、8年間在籍していたことになるのだが。

岡山のRyoutei田町という居酒屋で。

今回プレゼントがあると言われて、Sのことだから戦々恐々だったが、なんと40年前の僕の通帳があったというのだ。
古いインド旅の写真など整理しているうちに、なぜか僕の通帳がSの家から出てきたという。
協和銀行、全く覚えがないが、確かに自分の名前が。
6度目のインドの帰りに、すでに東京に住んでいた僕の下宿で、札幌へ帰る金のない奴に渡したのか。
それにしても全く覚えてないし、印鑑もない。
2万円ほど残金が残ってると通帳記帳にあるが、協和銀行って、もう消滅している。
覚えがないが当時の記憶が蘇ってくる感じだ。

懐かしい話がでてくる。
そういえば、S君はインドのビルホール族という未開民族を追う旅もしてた。
詳細な報告書を当時もらった記憶がある。

アサヒグラフに記事を書いて、後半の旅はその原稿料でまかなっていたらしい。
彼が北大農学部から文学部のインド哲学科に鞍替えした頃や、クラーク像の前のエルムの森で片っ端から女性に声をかけてたころのこと思い出す。
一度成功して、積丹へ車で連れていってもらった記憶がある。
ナンパして、海行って、潜ってウニやサザエを獲って帰って、バイバイという今考えるととても不思議な出来事。

今回、話を聞く会に参加したのは、友人の主催だからというわけでなく、最近とみにインド再訪したくなって刺激をもう一度もらえたらというのが願いだった。

インド再び訪問する気持ちが強くなってきた。



  


Posted by おきなべ at 07:43Comments(0)再び インドの旅へ

2018年07月06日

再びインドの旅へ

またインドへ必ず行こうと思い、いつの間にか月日は流れた。

人相手の医療の仕事をしていると、1ヶ月のフラフラ旅行なんて、夢の夢の話。

最近は、5日間休んだだけで、患者さんに叱られる。

でももうすぐリタイアの年だ。


沖縄もいいが、まずは体力あるうちにインドへ再び。

あの頃のような旅はできないかもしれないが、どんな風にインドは変わったのか、インドを見る僕がどんな風に変わったのか。

必ず行こうと思い、再びインドへというカテゴリーだけは作っておく。

このブログに、再び書き始める日、きっと。

これで、インドの旅日記はひとまず終了。






  


Posted by おきなべ at 08:31Comments(4)インドの旅

2018年07月02日

インドの旅の終わり(68)インド旅日記

疲れてぐっすり眠っていると、夜中の2時に電話。

なんだろうと受話器を取ると、コールガールいらないかという電話。

いいかげんにして欲しい。

なんていうホテルだ。

朝、8時頃起きて、yさんと下のカフェで朝食。

食後、2人でタイ日本人の会へ行く。

難民キャンプの地図をもらい、バスを乗り継いでキャンプへ行った。

バスは停車場に止まらないで徐行し、人は飛び降り飛び乗る。

タイで一番大きい難民キャンプだそうで、カンボジアからの難民で、ボランティアの人が多数いた。

図書館を作り、就学率80%と聞く。

湿地に作ったバラックには、テレビもあり不便ながらも、普通の暮らしがあった。

yさんが、タイ日本語の翻訳の本を探してるので、タイ大丸へ行った。



夕食は2人ですし処日本橋という日本料理の店へ行く。

にぎりと天ぷらうどんを食べた。

日本料理は1ヶ月ぶりで、涙が出るほど美味い。

ホテルへ帰り、のんびりしてると、yさんが、果物食べましょうと呼びにきたので、彼女の部屋へ行って、あれこれ話す。

1時間だけお邪魔して、すぐに自分の部屋に戻った。

朝起きて、バンコクへのホテルをチェックアウト。

yさんの部屋に荷物を置かせてもらい、一緒に王宮へ行くことにした。



バスに乗ったが、現在地わからず、バス降りたら、渡し船があったので乗った。

ただの渡し船だった。

船頭の子供が博物館へ連れていってくれるも、博物館は休館。

王宮の入り口がわからず、探していたら人の良さそうなタイの大学生が話しかけてきて、入り口を教えてくれた。

色彩豊かな寺で、インドの重厚な寺をよく見てきたので、その違いに驚いた。



再びバスで中心街に戻り、タイ料理を食べた。

極度に怠惰になり、荷物を置かせてもらってる彼女の部屋へと戻った。

シャワー浴びて少し眠らせてもらった。

夕方、1人で空港へ。

彼女は、まだ少しタイに滞在するようだ。

よい旅を。

僕のインド1ヶ月の旅はこうして終わった。  


Posted by おきなべ at 08:52Comments(0)インドの旅

2018年06月28日

バンコクへ(67)インド旅日記

カルカッタからバンコクへ。

もう暗くなっていた。

空港でドルをバーツに変え、どうやって街へ行こうかと思案してたら、2人の日本人女性旅行者に声かけられた。

1人はまっすぐ羽田へ、1人はタイに少しいるらしい。

1人では不安なので、タクシーに一緒に乗ってくれませんか?って言うので、リムジンタクシーでバンコクのスリクランホテルへ。

彼女は予約していたそうだ。

僕は安宿探そうと思ってたが、外は雨、真っ暗でめんどうになった。

部屋他に空いてますかって聞くと、満室だと言う。

諦めて、探しに行こうと思ってると、彼女が私の部屋にベッド入れてもいいですよって言ってくれた。

フロントの男、今度は部屋が空いてるって言う。

僕の汚いなりを見て、泊らせたくなかったんだろうなあ。

そんな訳で、彼女が722号室、僕が724号室へいる。



あらためて、自己紹介しあう。

彼女のほうが1つ年上で、yさん。

小学校の栄養士をされてるそうだ。

なかなか感じのいい人でインドを歩いてきたと言う。

下の食堂で一緒に夕食をとった。

部屋に戻り、のんびりする。

このホテル、日本円で2000円もする。

インドで泊まったところに比べて月とスッポン。

風呂までついてた。

ボーイがやって来て、コールガール?って聞いてきた。
k
Im very tired call girl I don’t want

と言って断る。



窓の外は、車やバイクの音でうるさい。







  


Posted by おきなべ at 17:39Comments(0)インドの旅

2018年06月27日

インド最後の夜(66)インド旅日記



写真はプーリーの街

カルカッタへ戻って、カメラを売ったので、写真がない。


インド最後の夜。
サルベーションアーミーのベッドの上で、この1ヶ月あまりの旅のこと思い出していた。
不安だらけの最初の夜のことを思えば、旅にも慣れたのか、インドを去るのがとても悲しい。

短い旅だったが、これほど刺激的な旅は、後にも先にもなかった。

この国を旅して、人は多様で文化も多様で、正しい価値観なんてないこと学んだ。

衛星、非衛生の概念も違う。

インドへ来た人は、インドに戻って来たいという人と、二度とインドへは行かないという人に分けられるそうだ。

僕は、またインドへ戻ってきたい。


明日はバンコクだ。  


Posted by おきなべ at 21:06Comments(0)インドの旅

2018年06月22日

インド滞在あと僅か 宿で(65)インド旅日記


写真はプーリーの露店。


夜、同室の日本人と。

世界一周自転車の旅最中で、オーストラリアから船に乗り、バンコクへ渡り、カルカッタへ着いたという。

これからデリー目指すそうだ。

バンコクの恐ろしさを教えてもらい、安宿情報とバンコクの地図ももらう。

無事に世界一周したんだろうか。

カルカッタから日本へ帰る途中に、数日バンコクへ滞在しようと思ってる。


インド人の旅行者も同室。
日本語の勉強をしてるそうで、即席日本語会話レッスンした。

キリスト教徒の白人2人も同室。
奉仕しに来てるって言って、マザーテレサの死の家のこと聞く。

これから旅する人、ボランティアで外国から来てる人、日本に興味を持ってたインド人。
サルベーションアーミーには多様な人がいた。



  


Posted by おきなべ at 08:35Comments(0)インドの旅

2018年06月19日

インドの映画(64)インド旅日記

朝は気持ちがいい。

2階に上がり、朝食のトーストとミルクティーを飲んで、ベランダでのんびり過ごす。

階下でデモ。
何のデモなのか、さっぱりわからない。

でも、すごいエネルギーに満ち溢れてるデモだった。


旅行者らしい黒人女性がニッコリ笑いながら近づいて来た。

とても魅力的な女性だ。

だけど、僕の語彙力じゃ、とても話すことができない。



夜、映画館へ入った。

後ろのほうが値段の高い席になっていた。


ある愛の歌 インド版だ。

言葉はわからないが、ストーリーは簡単で面白い。

大金持ちの男が、大金持ちの娘と知り合い、男は一生懸命にアタックするも、スカされ気味だ。
オートバイ、車を乗り回し、再アタック。

2人は強盗に襲われて、手錠をかけられる。

そうこうしてるうちに、お互いに惹かれて好きになり、手錠を壊し、山へ逃げる。

山小屋を作って、2人で生活しだした。

お互いの両親が、発見し、結婚大反対する。

でも、いつの間にかめでたく認められ、結婚。

現実離れしたストーリーは、山小屋どうやって作ったとか、その間の食料どうしたかなんて、理屈はいらな。

どこから現れたのか、大勢の人々が二人を祝福し、踊りや唄でしめくられ、話はめでたく終わる。


インドの映画は、ラストは必ずハッピーエンドになるそうだ。

観客、拍手拍手。  


Posted by おきなべ at 08:40Comments(0)インドの旅

2018年06月15日

カルカッタへ戻る(63)インド旅日記




カルカッタへ戻った。

ハウラー駅ですぐにリキシャを呼んで、ニューマーケット付近まで連れていってもらった。

サルベイションアーミは一杯で、モダンロッジへ行ってみる。

個室で暗くてコンクリートの牢獄みたいで、気が進まない。

長い間待たされたので、とりあえずサルベイションアーミに荷物を預け、街の散歩。


路上の歯医者を見る。

ペンチがあって、入れ歯の既製品が並ぶ。
人それぞれ口腔内の形も噛み合わせも違うのに、既成の入れ歯って使えるのか、とても疑問。

髭剃りの商売、靴磨き、なんでもありだ。


Bar BーQというレストランへ入った。

fried rice special(10ルピー)と、Sweet sour pork(10ルピー)を注文した。

こんな高級料理は久しぶりだ。


荷物を取りに帰ると、サルベイションアーミに空きが出た。

またここが、しばしのカルカッタ宿にした。



  


Posted by おきなべ at 07:15Comments(0)インドの旅

2018年06月12日

プーリー最終日(62)インド旅日記



インド独立記念日だった。

街のほうへ行くと、旗を立ててる光景もあった。

この街へまた来たいが、簡単には来れそうにない



夜行でカルカッタへ戻る日。  


Posted by おきなべ at 08:18Comments(0)インドの旅

2018年06月07日

網で魚捕り(61)インド旅日記




プーリーの海岸で、子供達が網で魚をとっていた。

小魚が少しだけ。

海岸で、相撲を一緒にとって遊んだ。
勝った。



そろそろ旅の終わりが近づいている。

明後日の夜行でカルカッタへ戻ることにした。

駅へ行くと、満席で指定席はないと言う。

頼みこむと、空席があった。

不思議な国だ。  


Posted by おきなべ at 08:28Comments(0)インドの旅

2018年06月05日

インド何しに来た(60)インド旅日記

朝から曇りで夕方に雨が降った。

朝食は、目玉焼き2つ、ゆで卵2つ、バタートースト4枚、コーヒー

どんより曇った日は、宿で日本の友人や恋人に手紙を書くことにした。


スタンドのコンセントが壊れているようなので、呼びに行くと、線を一生懸命に中へ押し込んでいる。

それでは直るはずもないので、ドライバー借りて自分で直した。

ピーナツ売りがやってきて、たくさん食べてお腹壊す。

日本人の二人組の若者が、ツーリストバンガローの隣の部屋に宿泊。
聞くと、学生で二人で旅をしているとのこと。

夜遅く、二人が部屋に遊びに来た。

インドへ何しに来たかと聞くので、北大探検部時代の友人が、なんどもインドへ行き、インドは面白いよっていつも言うので、来たと答えた。

彼らとインドのことや旅のこと色々話す。
とてもひょうきんで、面白い方達だった。
考え方の相違もあったが、旅の途中の人と話すことも色んな見方を知り、これも旅の楽しさだ。

彼らは、インドには美があると熱心に言う。

近代建築と、路上生活者、裸足の人達。

でも、これのいったいどこに美があるのだろう。

彼らの言いたいことはわかるが納得できなかった。


金もなく、カーストに縛られ、職もなく、途方にくれて生きる人達。

美というより、なにか怒らずにはいられない。


同じ人間なのに、いっぽうでは裕福にインドの旅をする僕たちがいる。

ベナレスでは、人は死ぬためにやってきて、輪廻の輪の中に入っていく。

色々な想いが交錯した。

人それぞれの考え方もあり、インドは深すぎて僕にはわからない。


アジア(インド)は、生きたい生きたいと叫んでいる。

日本は死にたくない死にたくないと叫んでいる。

誰かの作家の文章が頭に浮かんでくる。



インドって生きたい生きたいって叫んでるんだろうか。

あまりに多様過ぎて、僕にはまだ、その声が聞こえない。

自分が戸惑っているばかりだった。









  


Posted by おきなべ at 08:57Comments(0)インドの旅

2018年06月03日

ガンジャ(59)インド旅日記

ここプーリーは、合法的にガンジャを売っていた。
州によって、非合法と合法と両方あるみたいだ。

浜辺では、インド人がよくガンジャを吸っていた。


スウィミングおじさんも、仕事がない時はいつもガンジャを吸い、勧めてくる。

覚せい剤は、中毒症状があり依存症になるがガンジャは違う(らしい)

身体依存もなく、離脱症状も軽度なので、プーリーでは、タバコのように吸っている人をよく見かけた。

といっても、日本では禁止されている。

日本でも、大麻は大麻取締法、覚醒剤は、覚醒剤取締法など区別されている。



思考回路がボケて、あちこちに思いが飛んでいく(そうだ)

おぼろになったり、はっきりしたり、酒依存、喫煙依存、ガンジャ依存………

覚醒剤や麻薬はさておき、大麻が(ガンジャ)が酒と何が違うのかよくわからない。



ガンジャ 10g 10ルピー(300円)で売っていた。




  


Posted by おきなべ at 08:31Comments(0)インドの旅

2018年06月01日

プーリーの山車(58)インド旅日記





飛騨高山の山車を思い出した。

ジャガンナート寺院からグンディチャー寺院へと3台の装飾された山車が練り歩く。

その祭りは毎年6月から7月に行われる。

これを見た人は、福がもたらされると言われ、かつてはジャガンナートの山車に轢かれて死ぬことを望む信者もいたようだ。

京都の祇園祭の原型とも。


宿への帰り、海の中に入ってみた。

波が高いので、海に浸かってるだけだ。

そうこうしてるうちに、いつものインド人のスウィミングおじさんがやって来て、ロブスターを探しに漁村へ行こうと誘ってくる。

2人でリキシャに乗って探しに行くも収穫なし。


ふと見上げると、空が真っ赤に染まってた。

海、空、街、人

プーリーでの滞在は、おとぎの国に居るみたいだった。

  


Posted by おきなべ at 08:46Comments(0)インドの旅

2018年05月30日

リキシャの値段交渉(57)インド旅日記





広い通りにリキシャと人がごったがえしてる。

果物屋でレモンを買った。

とても小さくて酸っぱい。

気にいったバッグがあったので、僕のサンダルと上野で買った目覚まし時計と交換した。



始めてインドへ来た頃は、リキシャの値段交渉の仕方が分からず、カモられた時もあった。

現地のインド人に聞いたり、インド人の友人ができたりして、この距離ならこれくらいの値段って、わかるようになってきた。

3ルピー(90円)と踏んで、交渉すると、だいたい3倍から4倍の10ルピー(300円)って言ってくる。

2ルピーって言うと、相手は8ルピーって言う。

じゃあ別のリキシャにすると言うと、5ルピーって言う。

OK では3ルピーで乗ろうというと、渋々了解になる。

日本円ではたいした値段ではないが、日本から来る別の旅行者のためにも、そうしてた。

でも降りた時に、これはお礼だと言って、10ルピー位をありがとうって渡すことが多かった。
  


Posted by おきなべ at 07:04Comments(0)インドの旅

2018年05月28日

リキシャでプーリーの街へ(56)インド旅日記





浜辺で、物売り、スウィミングおじさんなどと、たわいもない話。

物売りは、僕が買わないと知ってるので、インド風英語で冗談ばかり言う。


1日中、波の音が聞こえてくる。

プーリーは気持ちがいい街だ。


インド滞在も、あと1週間になってしまった。

1ヶ月では短かすぎる。


1年間くらいかけた旅をいつかしてみたいと思った。

バンガローの前に、いつもいるリキシャのお兄ちゃんに街へ連れて行ってもらった。

  


Posted by おきなべ at 16:21Comments(0)インドの旅

2018年05月25日

スウィミングおじさん(55)インド旅日記

昨日のおじさん、カップルと手を繋いで、海に入っていた。

プーリーは、インドのリゾート地で新婚旅行にも多くの人がやってくるそうだ。

海を見たことのないインド人も多かろうと思うので、このおじさんは、海のガイドというとこらしい。

手を繋いで海に入る仕事。
若いカップルが、このトンガリ帽子を被ったおじさんと手を繋いで、海で遊んでる風景は、とても可笑しい。

スウィミングの手助けもしてるようなので、スウィミングおじさんって呼ぶことにした。


暇そうで、浜辺で寝転んでくると、いつもニコニコ話しかけてくる。

夕方、ビッグロブスターと言って、2匹持ってきた。

40ルピー(1200円)でどうだと言う。

30分粘って15ルピー(450円)に負けてもらった。

ツーリストバンガローの食堂で茹でてもらって食べた。


調理代を1匹5ルピー(150円)払えと言う。

2匹で5ルピーで交渉。

これでも高いがめんどうなので、茹でてもらった。


夕食は食堂でチキンカレー。

久しぶりに清潔そうなカレーを食べた。

インドのカレー 美味しい。





  


Posted by おきなべ at 07:07Comments(0)インドの旅

2018年05月23日

海辺で過ごす(54)インド旅日記





プーリーで海を眺めて過ごす。

ベンガル湾の単調な波の音が心地よい。

浜辺で、海を眺めてるだけで幸福だ。


ぼっーとしてたら、物売りが話しかけてきた。

あれ買えこれ買えと言うが、宝石や装飾品など、欲しいとは思わなく何も買わない。


こんどは、三角形の帽子を被ったおじさんが英語で声をかけてきた。

なんか可笑しなオッチャンだ。

釣り道具を貸してくれるというんで、借りてオッチャンと、もう1人変なオッチャンも現れて、一緒に釣りをする。

でっかい針、大きなオモリ、こんなんで釣れるはずないと思っていたが、やっぱり釣れない。


やめて、浜辺で寝ていたら、先ほどのオッチャンがビッグフィッシュって近づいてきた。

20ルピーで魚料理をしてくれると言う。

10ルピー(300円)に負けてもらい待ってると、そこら辺の流木を集め、火をおこして、魚をドーンと置いた。

よく見るとサメだ。

砂だらけになった焼けたサメにレモンと塩をまぶして出来上がり。

1/3ほど食べて残したら、オッチャンが家に持って帰っていいかと聞いてきたので、ああいいよって答えた。  


Posted by おきなべ at 07:52Comments(0)インドの旅

2018年05月20日

プーリーのツーリストバンガロー(53)インド旅

ドミトリータイプのユースホステルは1泊だけにして、1人でのんびりできる宿を探した。

探してると、ツーリストバンガローがあった。

海まで100mで、裏と表にドアがあり、裏玄関は、そのまま浜辺へと続いていた。

おまけに芝生と生垣まである。

1泊30ルピー(900円)。

今まで泊まった宿の3倍はする値段だけど、贅沢に過ごしてみるのもいいと思い決めた。

部屋は広く、ベッドやテーブル、椅子があり、ベッドには蚊帳が吊り下がっていた。

電気、シャワーもあり天国のようだった。





  


Posted by おきなべ at 18:02Comments(0)インドの旅

2018年05月17日

プーリーへ到着(52)インド旅日記

カルカッタから夜汽車でプーリーへ到着。




プーリーはベンガル湾に面した海辺の街だ。

体調悪く、ずっと横になっていた。

汽車の中では、子供2人、父母と旅行らしい家族もいた。

子供の服も綺麗だった。

インド中流の家族だろうか。

子供がお菓子ばかり食べてる。

レモンの皮、みかんの皮、そこらじゅうに投げ捨て、汽車の床はゴミだらけだ。



プーリーの駅に着き、汽車を降りると、リキシャの兄ちゃんがいつものように寄ってきた。

安い宿探してもらおうと、あちこち走る。

最初に連れていってもらった宿は、海から遠く廃墟のようだった。

次が海から500m、3畳ほどの部屋で床はコンクリートで電球はない。

扉を閉めると真っ暗だ。

白人が5人くらい泊まっていて、井戸で洗濯してた。



ここでもいいと思ったが、体調悪いので、もう少し綺麗なところないかと

次の宿に連れていってもらう。

プーリーのユースホステルだ。

海から少し離れているが、すごく綺麗で、ただ水が出ないみたい。

大部屋にベッドが多数雑然と並んでいた。

ヒッピーのような白人だらけだ。

なんとなく落ち着けそうにないが、とりあえずここに決める。

明日また、探そうと思った。



海岸沿の道路をリキシャに乗って走るのは気持ちがいい。

車も店もない。
  


Posted by おきなべ at 07:06Comments(0)インドの旅

2018年05月13日

サルベーションアーミー再来(51)インド旅日記

カルカッタでは再びサルベーションアーミーに泊まることにした。

大勢の旅行者がいて騒然としている。

大部屋には、おとなしいはにかみ屋の若いドイツ人と同室。
英語は僕と同じくらいの低レベルで、親しみを感じてしまった。

60代と思われる一人旅のドイツ人もいた。
外国人の旅行者には年配の人も多い。


2週間前に、ここサルベーションアーミーで出会った東北大医学生とも再会した。
デリーへ行き、昨日カルカッタへ戻ってきて、明日にも日本に帰るという。

彼の部屋には、40歳くらいのキチガイドイツ人と一緒で、もう耐えきれんと言っていた。

元気らしい。

お互い、はじめてのインドの旅で、2週間の間に、ずいぶん変わってきてるような雰囲気だった。

カルカッタの街を歩く。

あいかわらず、ガンジャ、ハッシーシー、カメラ売れと寄ってくる人達。
もう無視することも覚えてしまった。

プーリー行きの列車の予約を駅に取りに行くも、満席だった。

2等は無理みたいだ。


諦めかけたところに、インド人と日本人2人が話しかけてきた。
昨日インドへ着いたばかりで、興奮している様子。

連れのインド人の案内で、プーリー行きの列車の予約が取れた。
チャイニーズレストランへと誘われたが、もう少し一人で街を歩いてみたいので断った。

腐りかけたような果物たった一つをじっと座って売ってるおじさん。

タバコ1本づつ、総数20本ほどを並べてじっと座ってるおじさん。

商売というより修行のように見える。
わけがわからなくなってくる。

せっかくなので、マンゴーを買って食べた。

夜、微熱、下痢、吐き気。

白いクルタも、もう薄汚れてしまって入院中の病人のようだ。



大部屋のベッドの上で






  


Posted by おきなべ at 06:18Comments(0)インドの旅

2018年05月11日

再びカルカッタへ(50)インド旅日記

ベナレスからカルカッタへの一等寝台は、立派だった。

二等と比べて雲泥の差だ。


インド人の紳士と一緒の部屋になった。

きびきびとした動作、きっと上流階級の人なんだろう。

彼は夜になって、クルタに着替えて眠った。

汽車の中はレモンがベストだ。

1つどうぞと綺麗な英語で、いただいた。



堂々としたインド人。

圧倒されそうだった。

路上生活者と、この紳士。

貧富の差は、汽車の中でも感じてくる。

かつての植民地支配やカースト制度など、色々な原因はあるんだろうけど、

人は生れながら不平等な国もある。


カルカッタの駅に朝早く到着。


相変わらずごった返しているが、ハウラー駅の外は、朝から活気があった。

しばらく歩く。

橋の上でものを売っている。

途中疲れて、リキシャに乗って、ニューマーケットの近くまで。

朝早いので、路上生活者は井戸で体を洗っている。



牛や鶏がそこら辺を歩き、都会の真ん中で、人が羊の群れを追っている。

一人の男が棒を1本持ち、100頭以上いる羊を追っていた。

羊のお尻には赤いペンキが塗られていた。


カルカッタは不思議な都市だ。





  


Posted by おきなべ at 10:53Comments(0)インドの旅

2018年05月10日

ベナレス最終日(49)インド旅日記




いよいよベナレス最期の日。

列車事故や洪水などあって、3度目の正直だ。


ヒゲさん アグラへ行く。

ヒゲさんと、ベナレス駅で出会って3日間は、とても楽しく過ごせたので、さすがに別れは寂しい。

名前も知らないので、もう会うことはないだろう。

いい旅を。


ベナレス駅の構内には牛が何頭も寝そべっていた。

いったい何頭いるんだろうかって聞くと、日本人の数ほどいるよっていう答え。

街には、いのししも駆け回っている。

人と街と、動物の調和。

混沌としている。


午後5時半発のカルカッタ行きの列車まで、まだ少し時間がある。

ツーリストバンガローの食堂。

コーヒーとカレー注文するも、何分も待つ。

砂糖の容器に、たくさんの黒いゴマ。
と思ったがアリだった。

コーヒーくるまで、アリを除けて、砂糖だけの塊を作っておいた。


この食堂、フランス人が非常に多い。

まるで溜まり場のようだ。


bye bye Varanasi
  


Posted by おきなべ at 08:09Comments(0)インドの旅

2018年05月08日

非能率だけど(48)インド旅日記

明日のカルカッタ行きの汽車の予約をしに、2等寝台の窓口に並んだ。

2等寝台で行くつもりで並んでいたが、あの非能率には参ってしまった。

一人に10分以上かかり、あとからあとから割り込んでくるインド人。

女性が割り込んでくると無条件で許さないといけないようなので、1時間待っても列は進まない。


めんどくさくなって、一等寝台の窓口へ。

ルピーで考えると、かなり高いが、円で換算すると、たいした金額でもない。

切符売り場も生存競争だ。

明日は、ほんとうにカルカッタへ行けるんだろうか。

事故などで運休になって、これで3度目の正直。


夕方、ベナレスのツーリストバンガローの前の映画館に入る。

10分待っても20分待っても映画は始まらない。

けっきょく映写機の故障で、映画は中止。

払い戻しをうけた。

これもいい経験と思うようになってきた。





  


Posted by おきなべ at 16:44Comments(0)インドの旅

2018年04月25日

日本人旅行者(47)@インド旅日記

ベナレスのツーリストバンガローの前にあった食堂へ行き、カレー食べる。

ここのカレーは辛くなく食べやすい。

チャパティーと食べるカレーは美味しい。

そういえば、インドでは全くナンにはお目にかからなかった。


カトマンズから来た日本人二人と知り合う。

インドは、もう半年近く旅をしているそうだ。

飯くるの遅い、大声でバカヤロウと叫んでいる。

旅に慣れているのだろうけど、どうも、そういう態度に抵抗を感じる。


旅の途中は、その国の習慣や風習を尊重すべきで、旅をさせてもらってる事に感謝していたい。

いったいインドの旅を何ヶ月続けているんだ。

多様な価値観存在するインドで、自分の小さな価値観だけに縛られているって、いったいインドの旅で何を感じ見てきたんだろう。

なんとなくしらけて、がっかり。


ネパールで、ガンジャを吸い、肝炎にかかって死んだ人が二人いると聞く。

この辺を旅行している日本人旅行者では有名な話らしい。

抗生物質を飲み、女性がショック死したとか、そんな話ばかりだ。


インドの文化や死について、どう感じているか旅の途中の人達と話したかったが、そんな雰囲気はなく、無為な時間を過ごしてしまう。

それでも、旅行者の病気の話を聞いて、気をつけようと思った。

生水売りの水を平気で飲むようになってしまっている。

サルナートへ行く前は、ベナレスには日本人旅行者には全く会わなかったのだが、ここツーリストバンガロー周辺は日本人旅行者が多い。

団体旅行とは違うが、独特の雰囲気で、連れだって歩いている。






  


Posted by おきなべ at 08:41Comments(0)インドの旅

2018年04月23日

また汽車動かず(46))インド旅日記

またプーリー行きの列車が運休した。

なんてことだ。
洪水か事故かで汽車はストップした。

しかたないので、ヒゲさんとツーリストバンガローに泊まる。

A/C付き(水冷式)で、二人で45ルピー(1300円)

かなり豪華なホテルで、インドじゃないみたいだ。

僕はもったいないと感じたが、ヒゲさん けっこうお金持ってるんかもしれない。

きれいな部屋は日本のユースホステル並みで、シャワー、トイレ、ベッドも綺麗だ。


ベナレスからのプーリー行きの直通列車は1週間に2便しかないので、カルカッタ経由で行くしかない。


夕方、ツーリストバンガローの前で夕涼みする。

リキシャの兄ちゃん達と仲良くなって、遊んだ。

ヒゲさん、大真面目な顔で、インドは食物がなんでこんなに美味しいんだろうと感心しきり。

あと、半年ほどインドを歩くそうだ。

薬を持っていなかったので、抗生物質を少し分けた。


ヒゲさん プーリー行きを中止。

カルカッタから来たばかりだし、プーリー直通でないので、戻るのは気がひけるらしい。

アグラへ行こうと誘われたが、僕はやっぱりプーリーに海を見に行く。


昼夜、街とガンジス河岸の散歩。

夜も昼と同じエネルギーに満ち溢れていた。

インド独特の匂い。

あの匂いは何だろう。

カレーの匂いじゃない。
牛豚や動物の糞、食物と人の汗の匂いが、高湿度と高温の中で掻き回され、じっと停滞してるような感じだ。

ヒゲさんが何でもインドは美味しいねという甘すぎるお菓子、辛いカレーを夕食に食べた。
ヒゲさんの味覚に到達するには、まだまだ半年かかりそうだ。



  


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2018年04月20日

プーリーへ行こう(45)@インド旅日記

海辺でのんびり過ごそうと、ベンガル湾沿いにあるプーリーという街に、行くことに決めた。

ベナレスからカルカッタ経由で、南下していく。

汽車の予約をした当日、鉄橋が雨のため壊れ、汽車がストップしてしまった。

どうしようと、駅でウロウロしてたら、ヒゲ面の汚い浮浪者がニコッと近づいてきた。

インド人か日本人かわからない。

日本語で話しかけてきたので、日本人旅行者とわかった。

ヒゲ面なのでヒゲさんと命名。


汽車が動かないので、ヒゲさんの泊まるインターナショナルへ連れて行ってもらう。

きれいな部屋で、びっくりした。

ヒゲさん、妻子持ちだそうで、年齢は30歳をとうに超えてそうだ。

二人で食堂へ行き、メシを食い、夜はバナナをご馳走になった。


ヒゲさん 好人物である。

ガンジャを持っていて、しきりに勧められた。

プーリーで海を見ながら、ガンジャもいいなあって、ヒゲさん、心をすぐに動かし、オレも一緒に行くと言う。

それで、プーリー行き直行便の列車を二人で予約した。


20時間近くの汽車の旅の予定。

連れができて心強い。




  


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2018年04月18日

リキシャで交通事故(44)@インド旅日記

リキシャでベナレス大学の近くの河岸へ行った。
船乗り場があり、フェリーに乗って対岸へ行きたくなった。

ところが待っても待ってもフェリーは来ない。
1日に何本も運航しないんだろうか。

30分待ってもフェリーがやってこないので、諦めて帰ることにした。


帰りのリキシャで交通事故にあう。

前から、猛スピードで自動車が近づいてきた。
あっと思った瞬間、体が投げ出され、吹っ飛んだ。

リキシャのおっちゃん、大丈夫かなと思い、立ち上がって見ると、頭から血を出し、ぐったりのびている。

ぶつかってきた自動車は逃げた。

とにかく、おっちゃんを横に寝かせると、気がついて起き上がったので、ホッとした。



リキシャの後輪がひん曲がっていた。

周りから、たくさんのインド人が集まってきて、ワイワイ言っている。

僕は言葉がわからず、倒れたおっちゃんを介抱しているインド人に、あとは任せるしかない。


どうしようかと突っ立っていると、別のリキシャのおっちゃんが寄ってきて、どこまで行くつもりだったのか聞いてきた。

ベナレスの駅のほうだと答えると、乗れというので、事故にあったおっちゃんにリキシャ代2ルピー渡して宿へ戻った。


あのおっちゃん、どうなったんだろうか。

自分の商売道具を壊され直す金があるんだろうか。

もう少し、あの場へ居ればよかったと思う。

急いで宿に帰る必要など全くなかったのに、あれよあれよと流されていった。


自転車を直す金、都合のできる範囲で払ってあげればよかった。

生活の糧のリキシャなので、直さないと商売ができない。

宿へ帰ってきて、とても後悔した。

僕の旅はしょせん遊び、おっちゃんは、リキシャで商売をして、このインドで生活している。

心がとても重くなってくる。

カルカッタもそうだったが、車の運転はメチャクチャだし、人、車、リキシャ、動物でごった返すベナレスは事故も多いようだ。

宿で足が痛くて夕方まで横になる。

だんだんと足が腫れあがっていった。



  


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2018年04月16日

ベナレスで宿探し(43)@インド旅日記

サルナートからベナレスへ着き、宿を探すことにした。
ガンジス川のボートの上から見た久美子の家と、一瞬思ったが、ザック抱えて移動するのも面倒だ。
それに、日本人宿泊者も多いと聞いていたので、この日はそれは避けたかった。

ツーリストバンガローがあったので、今日空きがあるか聞いてみると、12時にならないとわからなく、今すぐは予約できないと言われた。

諦めて、隣にあった宿にする。
ベッドは二つあり、室内は陽がささず真っ暗だったが、交渉してそこに決めた。
1泊12ルピー(360円)

リキシャで再びガンジス川へ再び行ってみた。




  


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2018年04月14日

サルナートからベナレスへ帰る(42)@インド旅日記

インドに来て、約2週間経った。

毎日毎日が驚きとショックの連続だ。

今回思ったことは、荷物の量が多すぎたこと。

ザック、シュラフ、水筒、正露丸、サビオ、抗生物質、痒み止め、それくらいでいい。

あとはインドで調達できる。

荷を軽くすること。これにつきる。
移動が楽だ。


サルナートのツーリストバンガローの前にオート三輪が止まっていた。

ベナレスまで行くかと聞いてみた。

二人乗せるので、待てと言う。


しばらく待ってると、中年のおじさんと、娘さんがやって来て、3人でベナレスまで行く。

インド人の娘さん、ホリが深く20歳くらいであろうか、すごく綺麗な人だ。

今回出会ったインド人の娘さんの中でいまのところナンバー1。

この人なら、結婚して、インドに永住するのもいいなあって妄想始めた。

オート三輪の中で、横顔をチラチラ見る。

こっちを向いてくれたら、ニコッとするつもりでいたのだが、全く向いてくれない。

僕のクルタが汚すぎて、見るのも不潔っていう気持ちでいるんだろうか。

ベナレスへ着いて、ニコッと笑ってバイバイしたら、笑みを浮かべてくれた。
やったぁーーーー

さて、一人になった。
今夜の宿探しをしなくちゃいけない。






  


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2018年04月12日

オート三輪でサルナートへ(41)@インド旅日記





午後になって、サルナートへ行ってみることにした。

ベナレスから約10kmだ。

釈迦がブッダガヤで悟りを開いて、最初に説法された場所として知られている。

鹿野苑と呼ばれて、仏教遺跡が、かなり多い。

ベナレスのバス停でサルナート行きを待っていたが、バスが来ない。

同じように待っていたインドの娘さん家族と一緒にオート三輪で行くことにした。

5ルピー(150円)で行くことができた。


ひととおり見学して、その日はサルナートへ泊まることにした。

探してると、ツーリストバンガローがあり、1泊ドミトリーで5ルピー(150円)だったので、そこに決めた。


ドミトリーの部屋にはベナレス大学の学生が10人ほど遊びに来ていて、かなりうるさい。

興味の対象とされ、英語で話しかけてくる。

どこから来たか?

大学で何を学んでいるか?

インドはどうか?

矢継ぎ早の質問攻勢だ。

小綺麗な学生達。

僕のクルタは、雑巾のように汚れてヨレヨレだ。

手で洗うも汚れが取れないし、旅の途中とはいえ恥かしくなった。



ベナレス大学の学生達は、建築の勉強をしてるそうで、リクレーションを兼ねて、小合宿に来てるという。

英語をもう少し話すことできれば、もっと内容の深い話もできたと思うと、自分の語学力が残念だ。

それでも、英国人や米人と英語で話すよりも、インド人の英語のほうがわかりやすい。

彼らは僕が理解するまで、あらゆる単語を駆使し、把握するのを待ってくれるのだ。
  


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